このままでは「日本解体」されてしまいますよ!
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少し前ですが、3月20日は大東亜戦争での硫黄島の戦いが終結した日です。
栗林忠道陸軍中将(戦死後大将)以下2万名の日本軍将兵が玉砕しましたが、それ以降も散発的な戦闘が続き、最後の日本兵が投降したのは昭和21年だったと言います。

さて、この硫黄島の戦いで2万名の日本軍将兵が戦死しましたが、それ以上に2万名以上の戦死傷者を出したのが対戦相手の
アメリカ海兵隊でした。この海兵隊は勇猛果敢で知られていますが、この硫黄島戦でいわゆる戦争恐怖症者を出したそうです。戦争恐怖症と言えば聞こえは良いが、言ってみれば勇猛な海兵隊員でさえ「怖気づいた」という事になります。

それは何故でしょうか?

日本軍将兵は海兵隊員を上回るほどの、勇敢さを持って戦ったと言う事に尽きます。
と言うのは、日本軍は最後の一兵まで本当に戦うと言う事を、平気でやる。例え銃弾で打ち抜かれようが、足を引きずりながらも
アメリカ軍の陣地に迫って手榴弾を投げ込むとか、そういう事で一人でも多くのアメリカ兵を倒す事を言わば「使命」に感じて、
そして最後は華々しく散っていったのです。

アメリカ軍の歩兵操典には、最後どうしようもなくなったら投降する事を良しとすると書かれていて、日本兵の様に「死」を当然の事として戦う事が無いから、アメリカ兵は「怖気づいた」のだと考えます。

「軍人勅諭」だったか、「死は鴻毛より軽き」ものとされましたが、この鴻毛とはコウノトリの毛の事で、人間の命は鳥の羽毛よりも軽きものだとされた事が、日本兵の行動に如実に現れています。
最後は「死」あるのみ。そしてその命は国に捧げられ「神」として祀られる。そう言う事が解っているから、最後の一人まで十分すぎる位に戦うのです。

いま、振り返ってみて「命」や「死」と言うものを余りに軽んじていないかと考える事があります。テレビドラマなどでも人が平気で
殺される場面が結構多いですよね。だから「命」「死」をとんでもなく軽く感じられてしまうのです。まぁドラマですからその点を
差し引いて見るべきなのですが・・・

国会議員が労働組合から資金など丸抱えで選挙に臨み当選する。その資金が間違っている物であるにも関わらず、自分は関係ないなどと言い放ち、議員活動で汚名挽回するとか、政党を作っては壊し本来ならば国庫返納が筋であるのに、その資金を自分の懐に入れ、貯まった資金で土地を買い漁る幹事長がいたり、また母親から資金提供を受けながら、自分のあずかり知らぬ事としらばっくれる総理大臣がいるなど、この国の「選良」と言われる人たちは、自分の身に疑いがかかっても、平気の平左でいるのが多い。こういう連中をかの戦争で戦死した人たちが見たら、どう思うか?

我々はこんな国にするために、自分の命を捨てたのではない!
多分こう言うでしょう。自分に恥じる所が有るのであれば本来は、直ぐに身を引く事が当たり前なのに、その地位に汲々とし、椅子にしがみ付こうとする。見苦しいに程があると思いませんか?

いずれにしても今の日本人から「恥」と言う言葉がなくなりつつある現在、あの戦争で死んでいった人達を思う事は、
本来の日本人の姿を問い直す行為であると思います。

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2010年度予算案を審議する3日午前の参院予算委員会で、原口一博総務、前原誠司国土交通、仙谷由人国家戦略担当の3閣僚が遅刻したため、開会が15分遅れるハプニングがあった。
 予算委員会は午前9時開会が通例だが、参院審議初日のこの日は、冒頭に菅直人副総理兼財務相が予算案の趣旨説明を行うため、午前8時50分の開会予定だった。鳩山由紀夫首相は着席していたが、全閣僚がそろっておらず、自民党の舛添要一同委理事ら野党側は「来ていないのは誰だ。参院をなめているのか」と猛反発、簗瀬進委員長に抗議した。
 理由は「大臣レクチャーが長引き、部屋を出るのが遅れた」(国交省筋)、「趣旨説明後の午前9時の出席と思っていた」(仙谷氏周辺)。原口氏も連絡ミスから9時出席と勘違いし、会員制登録サイト「ツイッター」に同8時52分に書き込みをした。閣僚が3人も国会に遅刻するなど「極めて珍しい」(参院事務局)と言える。  政治・経済 時事通信社



卑しくも国政を担う大臣ともあろう人間が、大事な予算委員会に遅刻するとは。国会軽視も甚だしい。
しかも、原口大臣にいたっては、ツイッターに書き込みをしていて遅くなったとか。大臣と言う自覚が無い。
菅副総理が趣旨説明をするから通常の開始時間が10分繰り上がった事を、事務方から連絡が遅くなったから遅刻したと
言い訳をした人もいたが、普通一般社会でも会議などがあれば、10分とかそれ以上前に着席して事前準備をしておくもの。
それも国家予算案の趣旨説明であれば、なおさら。大臣レクチャーが遅れたなど言い訳にもならない。
なら何故、もっと早くレクチャーを行わないのか?前原大臣が参議院を舐めていると言う以前に、国会を馬鹿にしている。
仙石大臣などは趣旨説明の後に出席しておけば良いと思っていたと言うが、あんたは鳩山内閣の閣僚の一員ではないのか?

小林千代美議員の選挙資金疑惑などで、逮捕者も出ているのに、責任政党としての自覚が全く足らないと言わざるを得ない。

奢る平家は久しからず・・・このまま国民を愚弄するようなら、手痛いしっぺ返しを食らうだろう。

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今日11月24日
大東亜戦争末期、南太平洋パラオ諸島のペリリュー島では、歩兵第2連隊を主力とする日本軍と
アメリカ軍海兵隊の最後の戦闘となり、日本軍が玉砕した日です。そのペリリュー島の勇士の様子。

ある老人が若い頃日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言したが「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂され、見せ掛けの友情だったのかと失意の中島を離れる船に乗り込んだ。が、船が島を離れた瞬間その隊長を含め日本兵が手を振って浜へ走り出てきた。老人はその時、隊長が激昂したのは自分達を救う為だったと悟ったという。



太平洋戦線で日本軍は、物量で劣るものの、その強靭な戦闘力でアメリカ軍を悩ましてきました。
このペリリュー島でも例外では有りませんでした。2・3日で陥落させられると言うアメリカ軍に対し、
結果的には30日以上にもわたる激戦を繰り広げた末、根本大佐を含む55名の残存兵で最後の
「万歳突撃」を敢行し玉砕して果てました。
亡き昭和天皇は、ペリリューの様子を常々気にされていたそうで、「まだ大丈夫か?」と何度も侍従に
お尋ねになっており、11回の嘉賞・3度の感状が出されたとの事です。
歩兵第2連隊長の中川大佐は戦死後異例の2階級特進し陸軍中将となりました。
これら歩兵第2連隊や第15連隊の日本軍将兵は、ある意味現在日本人の忘れていた、国家に殉ずると言う崇高な使命を果たし、これほど過酷な戦場で、祖国を守ろうと必至に戦った人たちの事を今、
我々は余りに粗末に扱っていないでしょうか。

遺骨の収集さえ満足に行えない政府と慰霊さえ行おうとしない総理大臣。
こういう事で良いのかと考え込んでしまいます。この日本軍将兵がいたということを誇りに思います。

ナチから追われたユダヤ難民二万人の救援

極東ユダヤ人大会の二カ月後、三月十日にドイツのナチスの手を逃れた二万のユダヤ難民が
ソ連を横断し、満州国西部国境、満州里駅の対岸オトポールに流れ込んだのです。多数の難民は、春尚浅い零下数十度の北満の原野にテントを強って露営同然の生活をしておりました。
放っておけば人命に関する問題となることは明かでした。
ソ連政府は当時、ドイツに気兼ねしてこの難民に対し、ソ連領内に留まることを絶対に拒否しました。そうなると、難民の入国先は満州国よりないわけです。ところが満州国の外交部は、関東軍に気兼ねして中々決心がつかない。これは、一応無理もないことであり、再びカウフマン博士の樋口少将に対する懇願となりました。
樋口少将は、ハルピンに満州国外交部の責任者を呼びよせ、
「満州国は、独立国家である。何も関東軍に気兼ねすることはない。ましてドイツの属国でもない。
ドイツが排撃したからと言うて、一緒になってユダヤ人を排撃する必要なんか毛頭ない。
事は人道問題である。未だ国境の寒さはきびしい。一日延びれば、難民の生命に関する重大な問題ではないか。なるべく早く決心されたらどうか」と力強く説得したのでした。
満州国は漸くこの意見に従って、ユダヤ難民全部を満州国内に受け入れることとし間もなく、難民は、満鉄の救援列車によりハルピンに救援されてきました。
樋口少将なくして、この大芝居は打てなかったでしょう。樋口少将の決断は、ハルピンにおける
ユダヤ人工作に有終の美を飾ったことになります。
果せるかなドイツ外務省は、リッペントロップ外相の名をもって日本外務省に、ユダヤ難民を満州国が受入れたことは、日独親善に水を差すものであると言う厳重な抗議をしてきました。
陸軍省から関東軍司令部(軍司令官植田大将、参謀長東条英機中将)へ問い合せがあり、東条中将と樋口少将と対談した結果、東条中将は、樋口の決断と処置に間違いなしと断定しドイツの抗議は
不問にふせられたのでした。【後略】



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日本によるユダヤ難民救援というと、外交官・杉原千畝氏が有名ですが、もう一人ユダヤ難民を
救援した人物がいます。それが樋口季一郎陸軍中将です。

ユダヤ難民救援のいきさつは、上記の通りですが、軍人と言う事と、その所属機関が「ハルピン特務機関」という、いわば軍の裏方的部署であるが故に、いままで余り知られてきませんでした。

が、彼はこの事件に見られるように多くのユダヤ難民を救出し、戦後ソ連によって戦犯容疑がかけられましたが、世界中のユダヤ人によるロビー活動によって戦犯容疑を免れたと言う事です。
そしてイスラエル建国功労者として「偉大なる人道主義者、ゼネラル・ヒグチ」として今も顕彰されています。


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